42杯目 SNSは人類には早かった

「喋る」コンテンツと「書く」コンテンツの違いについても考えてみた
朝井麻由美 2024.12.31
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カランコロン‥‥スナック「朝井」へようこそ。42杯目のお読み物をお届けします。

一年が終わります。皆様どのようにお過ごしですか。私はいつもこのtheLetterを数日かけて少しずつ書いているので、きっと、掃除をしたり掃除に飽きたりしながら書いていることでしょう。

【本日のおしながき】

・お知らせなど

・喋るコンテンツと書くコンテンツの違い

・SNSという感情増幅装置

・トランポリンでダンスした

◆お知らせなど

mixi2、始めてます。「ソロ活女子のススメ」のコミュニティ、作っただけでたいして運用していないんだけど、自発的な書き込みが発生していて嬉しいです。時間あるときに書き込みに返信もしていきたい。

「二軒目どうする?」(非公式)のコミュニティも作ってみたけど、こっちは私が率先して運用したらダメだと思うので、視聴者の皆様に自由に使ってほしいところ…(今のところ自発的な書き込みは特にない…w)

とりあえず、他のSNSとの違いはコミュニティの使いやすさとリアクションの豊富さだと思うので、ここが盛り上がればよさそうだけど、アカウント作って放置してる人が多くて早くも人は減ってる感ありますね…(笑)。

なんかもう、あちこち新しいのが乱立しても使い分けがよくわからなくて人が分散するだけだから、mixi2とブルースカイとthreadsが合併してひとつのSNSになって、Twitterを倒してほしい。

ラジオ、結構楽しくやってます。

ラジオと言っても、雑談垂れ流しなので“ラジオっぽさ”はないかもしれない。最初は無料配布されてるジングルとかも流しながら、話題をいくつか変えつつラジオっぽくやろうと思っていたのですが、二人とも話しながら思考の海にダイブするタイプなのもあって、いい感じに潜っているのを途中で止めて話題をコロコロ変えるのももったいないなぁと思って、ひとつのテーマを会話のおもむくままに30分以上掘り下げるスタイルに落ち着きました。

◆喋るコンテンツと書くコンテンツの違い

喋るコンテンツと書くコンテンツの違いとして、結論やオチがなくてもなんとかなるというのがある気がしています。いや、もしかしたらそれは喋る・書く云々の話ではなく、“プロっぽく仕上げるか”、“素人まるだしで世に出すか”という点に起因するのかもしれない。

私の中では、文章を世に出すときは何かしらの結論やオチがないと、自分で自分に「で、オチは?」と突っ込んでしまうのです。それがたとえ、お仕事的な金銭の発生していない個人ブログ記事であっても、もにょもにょっとした終わり方をする記事だとなんだか落ち着かない。一行でもいいから、何かしらのまとめだったりオチだったりをつけたくなるわけです。

だけど、それが喋るコンテンツだと、まあ人間のお喋りって、結論が出なくてもフワッと終わることも多いし、そういうものだよな、と気楽にできるな~、とラジオ配信を始めて思いました。ただ、これは私が喋りのプロではないから、“プロっぽいラジオ”にしなくてもヨシ、と自分に許可を出しているのもあるのかもしれません。

プロっぽいってなんだろう、とさらに細かく噛み砕いてみると、プロっぽい=公共の電波・大衆向け・より多くの人が触れる想定をする、ということかもしれない。多くの人が聞いている電波に乗せて、結論の出ない禅問答のようなお喋りをしても、オイオイどうした、と困惑する人が出てくる可能性がある。昼下がりのFMラジオで、思考を深く掘り下げて「うーん……難しい問題だよねぇ……」とか言われても、営業へ行く車の中で聞くサラリーマンも、おやつを食べながらソファーでゴロゴロしている人も、困るもんな。そうなると必然的に、番組の作り方は、深く掘り下げるよりもひとまずの結論めいたことを出して次へ次へと行くことになる。深夜のAMラジオはちょっと掘り下げていることもあるけど、唐突に挟まれるCMで喋り手も聞き手もハッと現実に戻される感覚がある。思考に深くダイブするタイプのお喋りを公共の電波でするのは色々な事情で難しい。

一方で、書き物については、noteのようなWeb記事や書籍は思考に深くダイブする系メディアだと思う。が、文章コンテンツは深く掘り下げてそのままにすると、散らかった印象を受けて読後感が悪い。そのため、ちゃんとした文章コンテンツは基本的に何かしらの結論やオチがあるはず。

ええとつまり、なんだ? 喋るより書くほうが深めの掘り下げをしやすいが、結論を出すかどうかはプロっぽい(大衆向け)か否かによる。という結論でよろしいか?(このように、私は書き始めると結論を出す呪いから逃れられないのである)

◆SNSという感情増幅装置

先日、SNSで「世界中のみんなが自分と違う意見に見えて嫌な気持ちになる」ことと、「世界中のみんなが自分に同調しているように見えて良い気持ちになる」ことを一日でいっぺんに体験した。事の発端は、threadsにて、ドラマの「海に眠るダイヤモンド」のラストに納得がいかなかった話と、M-1グランプリの審査員がすごくよかった話を、それぞれ同じ日に投稿したことだ。

まず、「海に眠るダイヤモンド」については、

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